2010年3月30日火曜日

2010年3月25~30日 春合宿:鹿島槍ヶ岳東尾根

行程

3月25日 静岡ー駐車場ー東尾根1320m地点
3月26日 -1の沢頭ー2の沢頭ー2295m地点
3月27日 -第一岩峰取り付きー第二岩峰取り付き
3月28日 停滞(フィックス工作)
3月29日 停滞
3月30日 ー第二岩峰頭ー鹿島槍ヶ岳北峰ー南峰ー冷池山荘ー赤岩尾根ー駐車場
メンバー

L:ヘイキ SL:森下 M:佐々木

憧れだった鹿島槍ヶ岳東尾根に行ってきた。雪が大変多く、激しい山行だった 予定ではキレット経由で五竜岳に行き、遠見尾根を下る予定だった。 様々なアクシデントがあり、考えなければならないことがたくさん出てきた山行だった。

text:森下 photos:森下

3月25日 雨のち雪
6:50静岡ー13:30駐車場14:30発ー15:35東尾根1320m地点

大谷原駐車場に近い道には、普通に猿が集団でブラブラしていた。駐車場への道は封鎖されていたが、そっとどかして奥まで行かせていただいた。 ここは登山計画書を出すポストがなく、結局出さずに行ってしまった。こういうのはきちんとするべきだった。

奥にはもう1台車が置いてあった。トイレはつかえた。駐車場の気温はー2℃だった。生憎の雪であったが、出発。
駐車場のすぐ近くの橋を渡ると、すぐに東尾根冬季ルートの看板があった。なんとなくそれ通りに行くのがシャクだったので、あえて少し過ぎたところから尾根に入った。
尾根の最初は違うコースだったせいか猛烈な急登だった登り切って尾根上に出ると、上はなだらかだった。 尾根を少し登り、平らな所にテントを張った。

この日の天気図は三陸沖に前線を伴った低気圧があり、それが雪を降らせたんだなぁと思った。中国に高気圧がいたので、次の日西高東低だろうかと予想。 ちなみにこの日はフィリピンに台風1号が発生していた。
夕食はぺミカンのハヤシライスを食べた。森下のぺミカンは具がでかくて幸せだったが、重かったのでこの日に食べた。

駐車場の橋

3月26日 曇り時々晴れ
3:00起床4:30発-7:20一の沢頭7:35ー9:00二の沢頭9:30ー10:452295m地点

朝の気温はー8℃だった。視界はあまりよくなかった。
一の沢頭までは樹林帯で、そこまで激しいもなく行けた。ただ、一の沢頭の後からは膝上ラッセルで進んだ。

天気は一瞬晴れ間が見えることはあるが、ほぼ曇りで所々視界はかなり悪かった。 途中で雪が非常に深い急登があり、足が埋まったケンケンさんが足を抜くときに勢い余って10mほど滑落した。滑落というよりも転んで落ちた感じであったが。 とにかく、危険個所ではメンバー全体で注意を喚起しあわねばならないと思った。

二の沢頭には予想より早く着き、テントは張れそうだし天気もいまいちだし泊ってもよかったが話あってもう少し進んだ2295m地点も平らそうなので、とりあえずそこまで行くことに決めた。
2295地点に着くともはやホワイトアウト目前だったが、少し天候が回復するのを待ってみた。しかし一向に回復する様子がないので、テントを張ることに。
ここで文登研で教わった弱層テストとハンドテストを行った。20cm、50cmのところで少し切れたが、そこまで問題はないように思えた。

あまりにも行動終了が早かったので、ポーカーをした。ケンケンさんが無敵の運を発揮し、2人をボコボコにした。
この日の天気図は東シナ海に高気圧があったが、すぐ後ろに低気圧があり、予測は難しかった。
夕飯はビーフシチューを食べた。もちろんぺミカンである。

後ろの雲海がかっこいいケンケンさん

3月27日 晴れのち雪
3:30起床5:50発-6:45第一岩峰取り付きー10:00第二岩峰取り付き

朝の気温はー11℃、天気も視界もこの時は良好だった。ちなみに日の出は5:42だった。
第一岩峰はヘーキさんリードで行った。 表面は氷に少し近く、思いっきり蹴りこまなければうまく登れなかったため、足がパンプした。 途中まではそこまでひどく急な斜面ではなかったが、頂上に近づくにつれ斜度が上がり、最終的には雪壁に近かった。
フォローはケンケンさんがユマールで行き、最後に森下がセカンドの形で行った。 ヘーキさんのアイゼンが先が少し丸くなっていて、辛いと言っていた。厳しいところに行く時は装備のケアが大切だと思った。

第一岩峰を7:50に登り終え、第二岩峰を目指した。第二岩峰までの道のりは雪庇が多く、注意が必要だった。ラッセルもかなりきつかった。 第二岩峰の取り付きはテントが張れそうだったが、時間はまだあるし視界も何とかあったので、森下がザックを背負ったままで登ってみた。 10:20頃から様々な方法で登ることを試みるが、途中に背丈以上のキノコ雪があったり、完全に凍ってる斜面があったりして苦労した。
11:50に途中にぶら下がっていた長いフィックスをつかんだらそれが切れて、20mほど落ちたが、残地がしっかりしていたために止まった。 ザックがクッションになったので怪我も全くなかった。ここで天候も悪くなったのであきらめてテントを張ることにした。

13:00には全員がテントに入れた。荷物を整理した後やることもなく時間が余ったので、またポーカーをやった。今回は森下、ヘーキさんがケンケンさんを負かした。
天気図は日本の周りに高気圧と低気圧が大量発生していて全く明日の天気はわからない感じだった。 夜はヘーキさんの激辛カレーだった。辛いもの苦手な森下は汗かきすぎて顔の毛穴が痙攣していた。貴重な水分がもったいない。でもおいしかった・・・と思う。


3月28日 吹雪時々曇り
3:30起床、7:30二度目の起床ー12:00フィックス工作開始13:15完了

朝起きてみたものの、テントの壁が雪で大分押されていて天気も最悪だったので、二度寝した。 7:30に起きてみるも、天気はあまり回復はしていなかった。
朝ごはん(レーション)を食べ、回復を待つもののラジオでは天気は一時回復するが総合的には荒れるとの予報。 9時台の天気図もとったが、どう見ても西高東低で、この日は動けなそうだった。

昼ごろに天気かよくなったので、ザックを背負ったままリードで登るのは困難と判断したので森下が空身でフィックスを張った。
ルートは最初に左側の斜面をトラバースしてルンセを上がり、その後チムニーを超えて頂上のフィックスに向かっていった。 途中氷をホールドにしたときは生きた心地がしなかった。また、残地は全て埋まっていたので掘り出すのだけでも一苦労だった。 チムニーを上がるときに足を上げすぎて危ない体勢になって怖かった。ビレーの二人はもっと怖かったらしい。
最後のフィックスへ行くまでの岩は、氷で覆われていたために非常に怖かった。フィックスが凍っていて掘り出す時もドキドキした。フィックスはかなりしっかりしていた。

天気図は中国に高気圧があったのでもしかして明日は日本に高気圧がはりだして天気が良くなるのではと期待したが、ラジオの天気予報では明日は真冬型の天気になると言っていた。
夜はビーフシチューを食べた。辛くなくてうまかった。 19:30までポーカーをし、ケンケンさんの圧勝で幕を閉じた。

3月29日 雪時々吹雪
3:30起床

朝は気温ー10℃。 朝ご飯を4:30に食べ終えたが、食べてるときにラジオでは真冬型とのこと。外は吹雪。この日は一日停滞。

天気は明日だけ晴れ、その後また崩れるとのこと。どう考えてもキレットは不可能なので、悔しいが赤岩尾根を下りることに決定。
確かに天気図も翌日は良さそうだがすぐに崩れそうだった。書いてる時に、ラジオなしでも天気予報ができるようになりたいと思った。

3月30日 吹雪のち晴れのち曇り
3:30起床7:40発ー9:40第二岩峰頭ー12:15鹿島槍ヶ岳北峰ー13:00南峰ー14:45冷池山荘ー15:30赤岩尾根分岐ー17:00滑落ー20:00駐車場

朝の気温はー15℃。風も雪も激しかった。 天候の回復を待って出発。明日から崩れるのは分かっているのでこの日しかない。

フィックスを頼りに最初にヘーキさんが行き、次にケンケンさんが行き、最後に森下が行った。まさかフィックスを張るとは思ってなくユマールは1つしかなかったので、森下とヘーキさんはクレムハイストノットで行った。 時間は全員一人40分くらいで突破。フィックスの突破は不慣れである上に、ルートも難しいのでしょうがない。
今思えば森下がフォローで行けばよかったと心から思う。とにかくスリングだけでのフィックスはきつかった。完全に腕がパンパンになった。


第二岩峰の上に出ると鹿島への稜線が非常にきれいで、感動した。ここでワカンに履き替えた。
鹿島までの道のりも膝上ラッセル時々腰ラッセルで、急登は手で必死にかき分けながら進んだ。しかし残りが短いとわかってる激しいラッセルはテンションがあがる。斜面が氷っぽくなる前にアイゼンに付け替える。
山頂は天気は良かった。北峰もよく見えた。しかし風が非常に強かった。真冬型のときに突っ込んでいたらあんなもんではなかっただろうと思うと恐ろしい。 北峰への登りは斜面がここまでで一番凍っていて、恐ろしい斜面だった。ヘーキさんはガンガン進んでいて、やっぱりすごいなぁ~と思った。
北峰は南峰の時よりも天候が安定していたので、写真を撮りまくった。




冷池山荘へ行く稜線上に見たことないような巨大な雪庇がたくさん見れておもしろかった。
北西方向には去年の新歓で行った毛勝や剱が見えた。冬季小屋はなかなか広くてきれいだった。テントが2,3張りは張れそうだった。
赤岩尾根に入るところだけは斜面が凍っていたのでアイゼンを装着。 地形図で見る印象よりも枝尾根が多くてはるかに迷いやすそうな尾根だったと思う。

樹林帯の途中でヘーキさん→森下→ケンケンさんの順で歩いていたときに、森下のワカンが緩んでいたので締め直すためにケンケンさんに先に行ってもらった。 このすぐ後にケンケンさんが急な斜面で10mほど滑落し、木で止まった。
トレースを追っていた森下がケンケンさんが落ちたことに気づかず同じ所で踏み跡を踏んでしまい滑落。 森下はそのままケンケンさんの上に落ち、上に跳ねてそのまま下に横向きに転がりながら滑落。 記憶が曖昧だが、命だけは守らねばと腹部を手で覆いながら体を丸めたと思う。
落下地点からおよそ50mのところで運よく雪が大量に溜まったところがあり、そこで止まった。
落ちた自分自身は覚えていないのだが、止まって第一声は「ちっくしょー」だったそうだ。その後大声で叫び、助けを呼んだ。
頭はヘルメットで保護されていたので大丈夫だったが、途中で顔を強打して右の前歯がきれいに抜け、その右の歯が内側に45度くらい曲がっていて、頬も腫れていて右の眼が少し充血していた。 両膝もぶつけたらしく、特に左ひざは最初は立ち上がれないくらい痛かったが、少しすると歩けるレベルにはなった。
止まった場所はコースから比較的近くにあったので、すぐにヘーキさんがトラバースしてきてくれた。そこでカッパを左ひざに巻いて何とか尾根の上に戻った。 ケンケンさんは森下の落ちた跡を下り、同じように止まった地点からトラバースした。ケンケンさんは右足を打っていたが、歩けたので森下の荷物をケンケンさん、ヘーキさんで分けてもらい、森下は左ひざをテーピングでガチガチに固定して下山した。
体の節々は痛かったが、歩けないほどではなくて本当によかった。

尾根の終わりまでまではゆっくりと慎重に下って行った。意外と近かった気がする。正直無我夢中であまり時間の感覚は覚えていない。
林道に出るととてもほっとした。林道は平地なので膝が曲がらないととても歩きづらかった。 荷物を持ってくれていた二人はもっとしんだかっただろう。文句も言わずに持ってくれて本当に感謝しています。

車に着き、そのまま近くの夜間救急に行くものの、口腔外科がないため処置ができないと言われ、松本の相澤病院まで1時間かけて行った。
夜間救急では応急処置と頭や内臓の検査をした。不幸中の幸いにも体の中は右の頬骨が折れた以外異常なかった。 その日はそのまま入院をし、次の日にいろんな科で検診をしてもらった。抜けたり曲がったりした歯を戻す簡単な手術をして、静岡に帰った。

総括
山の事故は下りで起こるとよく言われるがこういうことか、と実感した。
鹿島槍の東尾根を登れたことは素直にうれしかった。ただそれ以上に自分たちの山に対する考えの甘さが露呈した山行だった。
文登研で講師の先生にに「死なない程度の怪我をしてほしい」と言われたが、その通りになった。今思えば貴重な経験ができたと思っている。

今回の反省点として登山計画書を持っていたのに出さなかったことが一番の反省として挙げられると思う。
今回は遭難事故まで至らなかったが、もしも遭難になった場合地元の警察、大学、OB、部員、家族などの大勢の方々に迷惑がかかっていたことだろう。
自分たちがいいならいいという考えが多少なりあった。そんな考えでは自分には山登りをする資格がないと思った。

せっかくの機会なので、ほかの部員もこれを読んで少しでも思ったことがあるとうれしい。